音楽聴きたいな

たぶん、音楽をやっていたことのある人なら同意してもらえると思うのだけれど、演奏会場で生で聴く音楽と、CDなどの録音で聴く音楽とは、まったくの別物だ。たとえば、演奏会場で生で聴いた音楽が脳みそを揺さぶられるほととても素晴らしくても、その同じ演奏を後日録音で聴くとちょっとがっかりしてしまうということが起こる。「あれ、こんなこじんまりとした演奏だったっけ?」なんて思ってしまうのだ。演奏会場の空気にはいろいろなものが混じっている。奏者の緊張感であったり、聴衆の反応であったり(詳細に書くと、ちょっとややこしくなるので、簡単にまとめさせてもらうけれど、クラシック系の人もロック系の人も、ジャズ系の人はなおさら、プレイヤーだけでなく熱心な聴衆でも必ず理解してくれると、僕は思う)。それが会場で生の演奏を聴く醍醐味でもある。

 

当然、同様のことは授業でも起こる。生の授業と録画された授業とではまったく違うのだ。いや、ここでは録画された授業が良いとか悪いとか、そういう話ではない。僕が言いたいのは、それらは別物であって代替不能なものであるということだ。「授業なんてYouTubeで配信すればいいじゃない」。たぶん、それで足るものもあるのだろう。でも、それでは決して伝わらないものもある。授業の録画を配信して教育として十分であるのなら、費用対効果で教育を考える人は、とっくにそういう手法を取り入れているのだろうが、そういう「教育」機関が主流にはなっていない。学校という場では費用対効果の論理で物事は進まない。現場の教員であれば、効率が悪いということがわかっていても、敢えて効率の悪いルートを選ぶという経験があるはずだ。僕は録画の配信を全面的に否定するものではないけれど、僕自身は授業を録画して配信するということは、たぶん、しないと思う。映ってはいけないものが映ってしまうかも知れないという意味ではなくて。